2011年 03月 13日
近況報告 |
今回の地震と津波で被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます。
また、私とお腹の子を心配してくれた皆様、
友人達、本当にありがとう。少し落ち着いてきました。
メールでは状況をきちんと伝えられなかったり、
未だ心配してくれている知人もいるので、こちらにも残してみます。
里帰り中だった実家は、大津波警報が出されていた海岸沿い。
このブログにも何度か書いていましたが、海から徒歩5分の場所に家があるので、
里帰りしてからは毎日1~2時間、その海岸を散歩していました。
当日も、これから歩きに行こうと着替えを終えたその時に1度目の地震が。
今まで経験したことがない揺れでした。
その直後から停電が始まったので、TVで情報は得られず、
地域の防災無線が盛んに「海には近付かないように、今海にいる人は直ちに離れるように」
と繰り返し放送をしていました。
近くに外出していた父が帰宅したところで2度目の大きな地震。
さすがにこれはただ事ではないと認識し、
近所の人達が続々と避難を始め、私達も着の身着のまま車へ。
海から離れた場所まで移動して、車のラジオを聞きながらしばらく様子を伺っていると、
後から逃げてきた人達が集まってきて、家にいたら足もとまで水がきた、とのこと。
この時はまだ本当に?と半信半疑だったし、
大津波警報といっても、実は大したことないのではと甘く考えていたのですが、
地震後しばらく経って、様子を見に家に戻ってみると(本当は危険な行為ですね)、
既に津波の第一波がやってきて水が引いたあと。
近所の家は皆、床上浸水状態でした。
実家は、駐車場や庭は泥だらけでしたが、
家の基礎が高めに造られていたため、奇跡的に家の中への浸水は無し。
でもいつ次の津波がやってくるのかわからない状況なので、
防寒をして、貴重品と簡単な食料と、母子手帳だけ持って、
同じ市内だけれど、海岸からは離れた場所にある親戚の家に身を寄せました。
仕事を終えた母も合流して、ひとまず家族が皆集まることができました。
この間、とにかく携帯が繋がらなくて、通話はまずダメ、
運よくたまにメールの送受信ができる、という状況だったので本当にヤキモキしました。
夫とも、夜になってようやく話をすることができ、こちらに向かっているとの
ことでしたが、大渋滞でいつ辿り着けるかわからないし、
この日は皆の無事をひとまず伝えて、そのまま引き返してもらいました。
友人達からも続々と身を案じてくれるメールが届いていましたが、
携帯の充電が切れてしまい、翌日まで返信ができなかったので、
本当に皆には心配をかけてしまいました。
そのまま親戚の家に一泊。
電気は復旧し、暖を取れるしTVもつくようになりましたが、
翌日になっても水道は止まったまま。
なのでコンビニやスーパーからは水や食料が消えた状態に。トイレも困りました。
一夜明けて徐々に周りの被害の様子もわかってきましたが、
道路はあちこち陥没し、電柱が傾いたり、道の真ん中に車や海から流されてきたボートが
横たわっていたりもしました。
崩れた家もあるし、家の塀には水が押し寄せた跡がくっきり残っていたり。
とにかくもう信じられない状況です。
夜には、仕事を終え食料を買い込んだ彼が来てくれました。
そして私はどうするか迷いましたが、このまま負担のかかる生活をするよりも、
お腹の子のためにも落ち着ける状況の方が良いか ということで、
次の検診までの数日間だけですが、一度彼と一緒に自宅に帰ることに。
出産予定日一週間前にして、里帰り先から今また自宅に戻ってきています。
同じ県内にある自宅は地震の被害だけなので、食器やミラーが倒れて割れていた程度。
未だ不便な生活を送っている親戚や、
そしてもっともっと被害の大きかった地域の皆さんには本当に申し訳ないですが、
お湯が沸かせて、お風呂に入れて、トイレが流せて、ベッドで眠れる
ごく普通の生活のありがたみを感じています。
お腹のベビも変わったことはなく大丈夫です。
ひとまずご報告まで。
また、私とお腹の子を心配してくれた皆様、
友人達、本当にありがとう。少し落ち着いてきました。
メールでは状況をきちんと伝えられなかったり、
未だ心配してくれている知人もいるので、こちらにも残してみます。
里帰り中だった実家は、大津波警報が出されていた海岸沿い。
このブログにも何度か書いていましたが、海から徒歩5分の場所に家があるので、
里帰りしてからは毎日1~2時間、その海岸を散歩していました。
当日も、これから歩きに行こうと着替えを終えたその時に1度目の地震が。
今まで経験したことがない揺れでした。
その直後から停電が始まったので、TVで情報は得られず、
地域の防災無線が盛んに「海には近付かないように、今海にいる人は直ちに離れるように」
と繰り返し放送をしていました。
近くに外出していた父が帰宅したところで2度目の大きな地震。
さすがにこれはただ事ではないと認識し、
近所の人達が続々と避難を始め、私達も着の身着のまま車へ。
海から離れた場所まで移動して、車のラジオを聞きながらしばらく様子を伺っていると、
後から逃げてきた人達が集まってきて、家にいたら足もとまで水がきた、とのこと。
この時はまだ本当に?と半信半疑だったし、
大津波警報といっても、実は大したことないのではと甘く考えていたのですが、
地震後しばらく経って、様子を見に家に戻ってみると(本当は危険な行為ですね)、
既に津波の第一波がやってきて水が引いたあと。
近所の家は皆、床上浸水状態でした。
実家は、駐車場や庭は泥だらけでしたが、
家の基礎が高めに造られていたため、奇跡的に家の中への浸水は無し。
でもいつ次の津波がやってくるのかわからない状況なので、
防寒をして、貴重品と簡単な食料と、母子手帳だけ持って、
同じ市内だけれど、海岸からは離れた場所にある親戚の家に身を寄せました。
仕事を終えた母も合流して、ひとまず家族が皆集まることができました。
この間、とにかく携帯が繋がらなくて、通話はまずダメ、
運よくたまにメールの送受信ができる、という状況だったので本当にヤキモキしました。
夫とも、夜になってようやく話をすることができ、こちらに向かっているとの
ことでしたが、大渋滞でいつ辿り着けるかわからないし、
この日は皆の無事をひとまず伝えて、そのまま引き返してもらいました。
友人達からも続々と身を案じてくれるメールが届いていましたが、
携帯の充電が切れてしまい、翌日まで返信ができなかったので、
本当に皆には心配をかけてしまいました。
そのまま親戚の家に一泊。
電気は復旧し、暖を取れるしTVもつくようになりましたが、
翌日になっても水道は止まったまま。
なのでコンビニやスーパーからは水や食料が消えた状態に。トイレも困りました。
一夜明けて徐々に周りの被害の様子もわかってきましたが、
道路はあちこち陥没し、電柱が傾いたり、道の真ん中に車や海から流されてきたボートが
横たわっていたりもしました。
崩れた家もあるし、家の塀には水が押し寄せた跡がくっきり残っていたり。
とにかくもう信じられない状況です。
夜には、仕事を終え食料を買い込んだ彼が来てくれました。
そして私はどうするか迷いましたが、このまま負担のかかる生活をするよりも、
お腹の子のためにも落ち着ける状況の方が良いか ということで、
次の検診までの数日間だけですが、一度彼と一緒に自宅に帰ることに。
出産予定日一週間前にして、里帰り先から今また自宅に戻ってきています。
同じ県内にある自宅は地震の被害だけなので、食器やミラーが倒れて割れていた程度。
未だ不便な生活を送っている親戚や、
そしてもっともっと被害の大きかった地域の皆さんには本当に申し訳ないですが、
お湯が沸かせて、お風呂に入れて、トイレが流せて、ベッドで眠れる
ごく普通の生活のありがたみを感じています。
お腹のベビも変わったことはなく大丈夫です。
ひとまずご報告まで。
by miica
| 2011-03-13 13:12